■鉄腕アトム■

■TVアニメ開始! 「鉄腕アトム」のインパクト!!
「そ〜ら〜をこ〜えて〜、ラララ・・・」で始まる主題歌が流れる頃、子供達はTVの前に釘付けになりました。さあ、国民的TVアニメの始まりです。




鉄腕アトムのTVアニメ放映開始は1963年1月1日。記念すべき第1話は新年早々始まりました。これには関係者の並々ならぬ決意と意気込みがあったに違いありません。マンガの歴史としても、TVの歴史としても、永遠に残る金字塔です。

鉄腕アトムは故・手塚治虫氏の原作によるもので、手塚氏自身が設立した虫プロダクションによって制作されました。当時TVで毎週30分のアニメーションは絶対に不可能とされていたものを、氏と仲間の人々の熱意と努力によって実現したのです。当時は営業利益など全く度外視で、純粋にマンガにかける情熱だけが原動力となっていました。現在の華やかなアニメーションの歴史は、この時に始まったと言っても良いと思います。

TV放映を可能にしたのは、氏のアイデアによって生まれたリミテッドアニメーションの技術によるところが大きいのです。それまでのアニメーションはディズニーアニメを見ればわかるように、全部のコマを描くフルアニメーションでした。動作がなめらかで自然な動きが表現できる反面、ものすごい手間と労力が必要になります。映画の場合は1秒間で24コマ、TVの場合は30コマなので、その分量たるや莫大なものです。もしTVアニメで実質20分の作品を作ろうと思えば、単純に30×60×20=36000枚の動画が必要になります。当然費用もかかりますし、誰もが無理だと考えても不思議ではありません。

しかし、パラパラマンガを経験した人ならわかると思いますが、少ない枚数であっても相応に動いて見えるものです。それにいつも全体が動いているわけではなく、例えば会話のシーン等では、口が動いているだけでも十分通用します。そこで、不自然にならないギリギリのところまで1秒間の動画枚数を減らし、なおかつ基本的な絵はパーツとしてストックして、繰り返し利用する方法が考案されました。しかも会話の口パク等は、元になる顔の絵に口の絵を重ねることで効率化を実現しています。かくして、可能な限り省力化を追求した結果、動画枚数を3000〜4000枚程度にまで減らしたのでした。実に本来必要な枚数の10分の1です。

それでも毎週の放映は想像以上に過酷を極めたようです。なにせ初めての試みなので、プロダクションのシステムも十分整っていたとは言い難いものでした。もちろんTVの制作経験者が揃っているわけでもありません。素人集団での船出だったのですから、その苦労たるや想像を絶するものがあります。そんな彼らを支えていたのは、マンガにかける情熱と先駆者としての誇りだったに違いありません。現在のような商業主義にまみれた業界とはまったく違う世界が、そこにはあったのでしょう。余談ですが、そうしたあまりに純粋な情熱が災いしてか、虫プロダクションは数年で倒産する運びとなってしまいました。現実とは残酷なものです。

鉄腕アトムのスタートは好調でした。たちまち子供達の間で大ブームとなり、スポンサーのお菓子やグッズは飛ぶように売れました。これを他の企業やTV局が黙っているはずがありません。アニメが儲かる商売だと知った人々の追い風を受けて、まもなくアトムに対抗するようにして色々な作品が世に送り出されることとなりました。アニメとスポンサーとの蜜月の関係は、既にこの頃から始まっていたのです。

アニメ業界の前置きが長くなりましたが、話を作品の内容に戻します。鉄腕アトムはアニメ化されるかなり以前から雑誌に連載されていました。発端は「アトム大使」という作品に登場したのがきっかけとされていますが、私自身見たことが無いのでどんな作品なのかわかりません。その後雑誌に掲載されたアトムも部分的には読んでいたのですが、まとめて読んだのは大学生になってからです。その時感じた作品の印象は、TVアニメとは大分異なったものでした。それまで子供向けの作品として認識していたのですが、その底流には一貫してヒューマニズムが流れており、社会に問いかける鋭いメッセージが多分に含まれていることを知ったのです。

TVアニメの最終回では、アトムがロケットに乗って太陽に向かって行くシーンが印象的ですが、みなさんはその後のストーリーがあることをご存知でしょうか。アトムはロケットが太陽にぶつかる前に投げ出され、半分溶けて宇宙をさまよっていたのを宇宙人に救われます。そして修理されて地球に戻って来ることができました。その後色々な展開があった末に、何かのきっかけで過去の世界に戻ることになったのです。その時代はアトムが誕生するずっと前の世界で、ベトナム戦争のまっただ中だったと記憶しています。当時はお茶の水博士もまだ若者でした。運命の偶然か、アトムは一時博士の助手も務めています。やがて年月が経ち、天馬博士の手でアトムが作られました。しかしどうあっても起動しません。なぜなら過去の世界にやってきたアトムが存在して、タイムパラドックスが起こるからです。(理論的には解釈を誤っていますが、それはあまり重要ではありません。)アトムは意を決して高電圧発生器に飛び込み、自ら原子分解して果てるのです。なんとも痛ましい最後ですが、それによって新生アトムが誕生するのです。

この展開は、何か火の鳥に相通じるものがあります。それは輪廻転生の思想です。氏の作品にはこのテーマの作品が多いのですが、元々医学を志した人(氏は医学博士でもある)でもありますから、その死生観が関係しているのかもしれません。氏はたくさんのマンガを描いていますが、どの作品にも必ずといって良いほど生と死のテーマが含まれています。子供時代には理解が難しいのですが、大人になってから読むとそれが良くわかるので、改めて作品を読み返してみて欲しいと思います。そうすれば作品が数十年経った現在でも色あせることなく輝き続け、氏がいかに偉大な作家であったか、はっきりと理解できるでしょう。

■鉄腕アトムの世界

鉄腕アトムで印象的な話は、何と言っても「史上最大のロボット」編です。世界最強となるべく作られたプルートゥというロボットが、最強と名指しされるロボットを次々に破壊して行くエピソードで、当然アトムとも戦うことになります。この話は一見単純なコンセプトですが、展開は実にバラエティーに富んでおり、文句なしに楽しめる作品に仕上がっています。しかもプルートゥに狙われたロボットはどれも個性的です。中には非常に人間的なロボットもいたりして、その展開は子供マンガとは思えないほど残酷です。

アトムは自分より強力な相手と戦うため、自らのパワーアップをお茶の水博士に願い出ます。しかし博士がそれを拒んだため、結局別の力を借りてパワーアップをします。その弊害によってアトム自身もひどい目に遭いますが、その後のプルートゥとの力対力のぶつかり合いは壮絶です。この作品の魅力は単にプルートゥが強いだけではありません。命じられるまま戦いを続けるプルートゥ自身が、実は心の葛藤を抱いている点が興味深いところです。やがてアトムと対戦したプルートゥは、最後には自らの意思で戦いを放棄してしまいます。ハッピーエンドに終わるかに見えたストーリーも、そこにプルートゥよりも更に強力なロボットが現れ、結局そのロボットと共に自爆して終わります。

このエピソードは、力の強い者が対抗する力を制する、この単純な原理が再現無く続く事への警告です。これが当時の世相を反映して描かれたものであることは明らかです。物語が描かれた時代はアメリカとソ連(現在のロシア)が冷戦のまっただ中で、激しい軍拡競争が繰り広げられていました。氏はそれを嘆いてこの作品を作ったのだと思います。つまり力で制する者は、やがて自らも力によって滅ぼされる、それをマンガという媒体で皮肉を込めて描いたのです。こうした構図はそもそもが人間のエゴによって生み出されるもので、プルートゥもそれを象徴する形で描かれています。

鉄腕アトムの各ストーリーはどれも傑作なのですが、ここでお勧めのストーリーを書いておきます。タイトルが思い出せないのでヒントのようなものですが、ご容赦願います。
●ロボイド-->人間のように成長するロボット「ロボイド」の物語。
●青騎士-->人間を恨むロボットが、他のロボット達を先導して人類に戦いを挑む。
●サイボーグ兵-->人間に育てられた犬が、宇宙人によってサイボーグ兵に改造され地球に送り込まれる。
●ロボット大統領-->人間に慕われ大統領になったロボットが、反感を持つ人間の陰謀で窮地に陥る。
●母のひざ枕-->ロボットに母を殺された恨みで、自らロボット狩りを行う主人公の母が。実はロボットだったことをひざ枕によって知る。
●ロビオとロビエット-->ロミオとジュリエットのロボット版。ラストが悲しい。
鉄腕アトムはよく言われるような、理想的な未来を描いた娯楽作品などでは決してありません。人間の本質を鋭く描いたヒューマンドラマです。そのストーリーはむしろ悲壮感に満ちており、社会への批判に支えられていると言っても過言ではありません。原作を読んでいない人はTVアニメのイメージで捉えていると思いますが、それは作品の一面に過ぎないことを強調しておきます。

鉄腕アトムは最初に作られてからかなり年月を経て、2回TVアニメでリメイクされています。どちらも原作をモチーフにしたオリジナルストーリーで、未だかつて原作に忠実に作られたアトムは存在しません。リメイク作品はそれなりに技術に支えられて良く出来てはいますが、何かが足りないという印象が否めません。リメイクが果たして氏の望んだようなものとなっているかと問われれば、答えはノーであると個人的には思います。

最後に作品とは直接関係ありませんが、TVアニメとスポンサーについて少し触れておきます。現在では1つの作品を巡って、様々な会社が関連商品を販売する等して関わり、互いにプロモーションに強力しています。実はTVアニメは、アトム発足時からどんな番組よりもスポンサーとの連携が緊密だったのです。もう20年以上前のことですが、TVの特番で懐かしのTVアニメの企画があった時、オープニングの途中で下の方に一部ブルーの帯で隠すシーンがありました。元はそんなシーンは無かったので変だと思いましたが、その後完全版を見てわかりました。隠されていたのはスポンサーの名前だったのです。アトムのスポンサーは明治製菓で、当時マーブルチョコレートと言うのがシンボル的な製品でした。特番の時に名前を隠した理由は、その番組のスポンサーに明治製菓が入っていなかったからです。

アニメに限らず番組へのスポンサーの影響力は絶大です。TVアニメの黎明期には、むしろ主題歌の後にスポンサーの名を呼ぶことが一般的でした。鉄人28号のグリコやジャングル大帝のサンヨー電機はその一例です。毎回このパターンで聞いていると、条件反射で作品とメーカーが一体になって脳に記憶されます。子供の脳は単純なので、特にストレートで印象付けられるわけです。その証拠に作品内容は忘れてしまっても、数十年経った今でも、頭の中からこのフレーズが消えることはありません。しかし、こうしたスタイルは実際にはあまり長くは実施されず、数年のうちには消えてしまいました。その理由は定かでは無いのですが、制作会社や配給会社の都合だったのではないかと思っています。つまり後の再放送等を考えると、作品中に固定のスポンサーが入ってしまっているのは困るという理由です。今に限らず、アニメは商売をする立場からも魅力ある優れた商品なのでしょう。作品が作られる背景には人々の思惑が絡んで、様々な人間模様が渦巻いているのです。